高校時代、バトン部での思い出

忘れたくない思い出話
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高校で、バトントワリング部に所属していた私。

先日、ずっと私の母校の指導をしてくれているコーチが、歴代バトン部メンバーのLINEグループを作ってくれた。

コーチが私の母校を指導してくれて、もう22年になるらしい。

コーチが、コロナ禍で満足に活動できない現役生を励まして、縦の繋がりを持っていこうと提案してくれて、LINEグループができた。

私は高校でバトン部に入る前、小学校の時にバトントワリングを習っており、

高校のコーチは実は、そのバトンスクールのエースだったお姉さんだった。

当時小学生だった私は、異次元に上手なそのお姉さんを「凄い人!!」と思いながらも敬語など使えず、

“ちゃん付け”のあだ名で呼んでタメ口で喋っていた。

公立高校に入学して、バトン部に入って、その時のお姉さんがコーチと知った時は驚いたけど嬉しかった!!

もちろん、きちんと敬語で話し、呼び方も”さん付け”に変わった。

バトンスクール時代に私が数年いたことを覚えてくれていて、それも嬉しかった。

母校のバトン部は、当時は関西の公立高校で唯一、団体演技の全国大会出場圏内という一応強豪校だった。

それもこれも、全てそのコーチの指導と振り付け、構成がなくては成り立たなかった。

公立高校のバトン部が全国大会に出るまでにどんな苦労があったか。

私立高校とは違う部分がだいぶあったと思う。

当時を振り返って書いてみよう!

バトン部は文化部!?

我が母校のバトン部は、文化部扱いだった。

美術部や吹奏楽部と同じ、文化部。

ちなみにダンス部も文化部。

でも、練習量は「野球部かバトン部か!」と言われるほど、バトン部は練習していた。

時期にもよるけど、大会前や文化祭前は、平日は朝練→昼練→夕練(本来の部活の時間)→自主練をしていた。

休みの日は土日両方とも練習9〜15時(たまに9〜18時)とかで練習していた。

バトン部はいつも早弁をしている。と言われていたし、実際早弁しまくってた。

だって、昼休みも練習あるし!

で、文化部だとどうなるかというと、体育館が使えなかった。

体育館の使用は、運動部がローテーションで使っていて、バトン部はそのローテーションには入っていなかった。

だって文化部だから。

全ての運動部が体育館を使わない日がたまたまあったとしたら、その日に全運動部に「空いているから使ってもいいですか?」と確認を取ったら使わせて貰えたけど、基本的には使えない。

じゃあどこで練習するかというと、中庭で練習していた。

屋根もない、レンガ敷きの中庭に、チョークでポイントと呼ばれる5メートル間隔の印を書いて、そこで練習していた。

バトントワリングの団体演技の演技スペースは、横30m×縦25m。

この横30mが、中庭ではギリギリ、取れなかった。

柱が邪魔で本来の位置に立てないまま練習したりもしていた。

でも中庭なら毎日使えたから。

そんなこんなで大会に行くと、他の私立高校のバトン部は特に日焼けなんてしてないけど、私たちだけ真っ黒だった。

日焼け止めを塗っても絶対やけてしまうから、しょうがない。

バトンシューズは超消耗品

あと、中庭で練習していると、靴にすぐに穴が空いた。

練習には、バトンシューズというバトン専用の靴を履くのだが、それは爪先まで伸ばしやすい靴で、それゆえにスニーカーよりは底が薄い。

本来は体育館で使用される想定で作られているので、中庭で毎日練習する私たちは、1週間と持たずに底が破れる時もあった。

バトンは、スピンする時には必ず左足で回るので、左足ばかり破ける。

破れたら次の靴を1足買って使うけど、また左だけ破ける。

左足の寿命が右足に比べて圧倒的に短いから、左ばっかり交換して、新品の右足をストックしている子もいた。

その子のロッカーには、新品の右足の靴が大量に入っていた。

あと、靴紐もすぐちぎれた。

バトンシューズの靴紐は細くて、1日もたずにちぎれることもしばしば。

ちぎれたら、紐を繋ぎ合わせたりしながらなんとか使う。

中庭に、誰かのシューズからちぎれた長めの靴紐が落ちていると、「お、これまだ使えるな!ラッキー!」と言いながら、みんな拾っていた。

私立の中高一貫校と戦うために

さて、公立高校のバトン部が全国大会に行くのが難しい理由は、上記のような『練習環境』の問題もあるが、

決定的に違うのは別の点である。

私立の中高一貫校に比べて、高校入学時点でのバトン経験者が少なすぎることである。

私立の中高一貫校なら、当たり前だけど少なくとも中学からバトン部でしたって人が多い。

ということは、秋の団体演技の大阪府大会・関西大会の時点でバトン歴は3年数ヶ月以上のメンバーばかり。

それに比べてうちの公立高校バトン部は、2年生は1年数ヶ月、1年生はバトン歴数ヶ月で大会にでる。

できる技も身のこなしも、歴然とした差が出てくる。

それでも、私の代では中高一貫校を何校も抜いて関西3位まで追い上げた。

なぜそれができたかというと、冒頭に書いたコーチの存在があったからこそ。

私立高校に比べて一人一人の実力が足りないからこそ、人数勝負の構成を徹底的に作ってくれていた。

私立高校は、部員の中でも上手な選抜メンバー15〜20人くらいで1チーム作っていたのに対し、我が母校は1年生も1人残らず、35〜40人くらいのメンバーで大会に出ていた!

ひたすら、簡単な技だけの演技を揃えて、フォーメーションを完璧にした。

できる技の多い2年生が技を決めている間、1年生は走ってポーズ、走ってポーズ、走って床に座って転がってポーズ、みたいな動きをする。

バトンの演技は、もちろんバトンを投げる技が入ってくるのだが、バトンを落とすと当たり前だけど減点になる。

なので、バトンを全員落とさなくなるで同じパートを踊り続けるという練習があった。

バトンのノードロップ練習、略して『ノードロ』。

ノードロの時は、2年生が難しい技をして落とすと、投げる技が入っていなくて走りまくっている1年生も一緒にやり直し。

ずっと走ってるだけ、みたいな時もある。

コーチは、2週間に1回くらい来てくれていた。

厳しくて怖い時もあったけど、みんなコーチが大好きだった。

ちなみに顧問の先生は、バトンなんて一度もやったことがない、昔は柔道をしてました、という物理の先生でおじさんだった。

顧問の先生のことも、みんな大好きだった。

私立高校がどれくらいコーチが来てくれて、どう練習しているかはわからないけど、

私たちはひたすら動きをそろえる団体美の練習をしまくった。

もちろん、技の練習もこれでもかとやりまくっていたけど。

コーチが次に来てくれるまでにここまで出来るようになるように、と目標を決めて、上級生が下級生を指導して、全員で演技を見合いっこして、頑張った。

こうして、私が1年生の時は全国大会にはギリギリ届かなかったけれど、2年生の時には関西3位で全国大会に出た。

選ばれた時、副部長だった私は、部長の子と抱き合って泣いて喜んだ。

とっても青春だったなと思う。

コーチが歴代バトン部員のLINEグループを作ってくれて、年代は違えど同じように中庭を走って全国大会を目指してきた部員が200人以上グループに入っている。

年末年始にOG会を計画しようと持ちかけてくれて、とっても楽しみだ。

私も出産後に、ぜひ参加したいなと企んでいる。

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